今や、男女共々フィギュアスケーターたちの技術が進歩し、次々と優れた若手選手が出てきますが、心をとらえ夢中にさせてくれるスケーターには、そう滅多にお目にかかれないもの。
私が好きだった伊藤みどりさん。世界中に「ジャンプは芸術」とまで言わしめた彼女が引退し、浅田真央さんが現れるまでの間、ただ1人私を虜にした選手がいました。
それは氷上のバレリーナと呼ばれたリレハンメルオリンピック女子フィギュアスケート金メダリストオクサナ・バイウル(oksana baiul)です。
リレハンメルオリンピック女子フィギュア
オクサナ・バイウルの生い立ち
1994年に開催されたリレハンメルオリンピック女子フィギュアスケートは、トーニャ・ハーディングによるナンシー・ケリガン殴打事件でかつてないほどマスコミの注目を浴びていました。
そんな彼女等を尻目に静かにサラッと金メダルを獲得したのが当時16歳、ウクライナ出身の少女オクサナ・バイウルです。
彼女のそれまでの人生は決して平坦なものではなかったようです。
2歳で父と別れ14歳で母を亡くし身寄りのない孤独なオクサナ・バイウルをガリーナ・ズミエフスカヤコーチが引き取り面倒を見ていたそうです。
2歳からスケートを始めた彼女の才能をガリーナ・ズミエフスカヤコーチは見出していたようですね。
そして15歳で世界チャンピョンとなり、翌年のリレハンメルオリンピックで金メダルを獲得。その後あっさり現役を引退。アメリカに移住しプロ活動を行っています。
まさにシンデレラストーリーを地で行くのがオクサナ・バイウルなのです。
1994年当時の女子フィギュアスケートについて
当時はまだ女子の技術力は現在の現役選手と比べ、高度な技術を持った選手は少なくテクニカルプログラム(現在のショートプログラム)のジャンプだけに限って言えばトリプルルッツとダブルトウループのコンビネーション・ダブルフリップ・ダブルアクセルが成功すれば上位に食い込めるレベルでした。
フリーでは
トリプルルッツ
トリプルフリップ
トリプルループ
トリプルサルコウ
トリプルトウループ
ダブルアクセル
といった6種類のジャンプを単発で成功させコンビネーションは1種類だけでも取り入れれば問題なしというレベルです。
それにスパイラル・スピン・ステップの要素を加えあとは如何に音楽に合わせた表現力が試されるだけでした。
ジャンプの踏み切りや「?」と思うような両足の着氷など些細なミスは現在ほど、こと細かく採点されていなかったのではないでしょうか。
当時の採点方式は6.0システムでどの国の審判が、どのような採点を示したか明らかでした。また技術力より芸術性の採点が優位なほうが上位に立っていました。
リレハンメル女子フィギュア テクニカルプログラム
トーニャ・ハーディングVSナンシー・ケリガン。
この二人に注目が集まる中始まったテクニカルプログラム。しかしトーニャ・ハーディングはトリプルルッツの着氷ミスで10位と出遅れます。
一方ナンシー・ケリガンは完璧な演技で首位にたちました。
ナンシー・ケリガン
Required Elements
GBR | POL | CGE | UKR | CHN | USA | JPA | CAN | GER |
5.6 | 5.8 | 5.6 | 5.8 | 5.8 | 5.9 | 5.8 | 5.8 | 5.9 |
Presentation
GBR | POL | CGE | UKR | CHN | USA | JPA | CAN | GER |
5.6 | 5.9 | 5.7 | 5.7 | 5.9 | 5.9 | 5.9 | 5.8 | 5.8 |
昨年世界選手権で優勝していたオクサナ・バイウルも前評判では金メダル候補でしたが、私が彼女を知ったのはこのときが初めてです。
黒鳥グラン・パ・ド・ドゥに合わせ黒鳥が滑り出します。
バレーで鍛えたという手先まで気を配った豊かな表現力。彼女のスケートは私がそれまで見たこともなかった世界観がありました。結果見事に2位に。
オクサナ・バイウル
Required Elements
GBR | POL | CGE | UKR | CHN | USA | JPA | CAN | GER |
5.7 | 5.8 | 5.4 | 5.7 | 5.7 | 5.6 | 5.7 | 5.6 | 5.5 |
Presentation
GBR | POL | CGE | UKR | CHN | USA | JPA | CAN | GER |
5.9 | 5.8 | 5.7 | 5.9 | 5.9 | 5.8 | 5.9 | 5.9 | 5.9 |
リレハンメル女子フィギュア フリープログラム
フリープログラムではトーニャ・ハーディングがスケート靴の紐が外れ、やり直しという前代未聞のパフォーマンスを見せてくれましたが、トリプルアクセルが失敗に終わり結果7位でした。
一方ナンシー・ケリガンはトリプルトリプルを取り入れ、ノーミスで滑りきるも惜しくも僅差で銀メダルに終わったのです。滑走順はオクサナ・バイウルよりナンシー・ケリガンが先でした。
ナンシー・ケリガン
Technical Merit
GBR | POL | CGE | UKR | CHN | USA | JPA | CAN | GER |
5.8 | 5.8 | 5.8 | 5.7 | 5.7 | 5.8 | 5.8 | 5.7 | 5.8 |
Artistic Impression
GBR | POL | CGE | UKR | CHN | USA | JPA | CAN | GER |
5.9 | 5.8 | 5.9 | 5.9 | 5.9 | 5.9 | 5.9 | 5.8 | 5.8 |
そして、オクサナ・バイウル
フリーを控えた公式練習中ドイツのタニヤ・シェフチェンコとぶつかり、足に2針を縫う大怪我を追い痛み止めを打って臨んだフリー。そんな逆境を追い払い見事1位に輝いたのです。
オクサナ・バイウル
Technical Merit
GBR | POL | CGE | UKR | CHN | USA | JPA | CAN | GER |
5.6 | 5.8 | 5.9 | 5.8 | 5.8 | 5.8 | 5.8 | 5.5 | 5.7 |
Artistic Impression
GBR | POL | CGE | UKR | CHN | USA | JPA | CAN | GER |
5.8 | 5.9 | 5.9 | 5.9 | 5.9 | 5.8 | 5.8 | 5.9 | 5.9 |
オクサナ・バイウル その後
エキシビジョン、スワンレイク 1羽の白鳥が湖に降り立つ物語を見事に演じきり観衆を虜にしたあと16歳という若さであっさりと現役を退きました。
確かそのときの彼女の言葉は「規制のない自由なプロの世界で表現したい」だったと記憶しています。その後アメリカに拠点を移しプロフィギュアスケーターとして華々しく活躍。そして今でも精力的に活動しています。
プロ転向後1996年にアイスショーで滑ったこのプログラムが特にお気に入り。ただただ素晴らしいの一言。ジャンプを飛べなくても表現力だけでも十分に魅せてくれます。
プロフィギュアスケーターとしても、18・19歳くらいまでの彼女が一番輝いていたかなと思います。残念ながら20歳くらいから体系が徐々に変わり始め、軽やかだったスケーティングにも変化が。
YouTubeで「オクサナ・バイウル」より「oksana baiul」で検索したほうが彼女の動画が数多く拝見できますよ。
また、現在は、お子様にも恵まれ幸せそうな姿がツイッターでもアップされています。
Life begins at 40 family health love and happiness… I have every blessing I have dreamed of by @denisetruscello ©2017 Baiul-Farina Ltd pic.twitter.com/e9iMNch8D5
— OKSANA BAIUL®-FARINA (@OksanaBaiul) 2017年11月16日